電球もついていない道路標識が、夜間に走行中の車から明るく見えるのはなぜでしょうか?
また、遠くの標識は暗いままなのに、判読できる距離に近づくと明るく見えてくるのはなぜでしょう?
実は、あなたの街の安全な暮らしを支える道路標識にも、3Mの技術が使われています。
高齢者ドライバーが増加する交通環境では、より明るく視認性の高い道路標識や路面標示が必要不可欠です。また、国内外からの観光客の増加により、標識やサインのわかりやすさや、バリアフリーも求められています。時代が求める標識を3Mが追求し続けている背景には、あるアイデアの可能性を信じて地道に研究を続けた、製品開発ストーリーがあるのです。
20世紀の初め、アメリカでは急速な自動車の普及に伴って、道路整備や安全確保のための標識整備が進められていました。しかし、当時の道路標識や反射材は色や形が統一されたホウロウやエナメル板で作られていたため、夜間は暗くてほぼ判読できず、運転の大きな問題となっていました。
1920年代には、ガラスやプラスチック製の反射ボタンを利用して標識内の文字の輪郭を囲んだ標識が考案されました。夜間運転の安全性も大幅に改善されたものの、道路に引かれた車線に関しては開発が遅れていました。
そんな折、1937年の春にセントポールで催された交流クラブの席上で、3M社の営業幹部は高速道路管理を担当する郡の役人にこんな言葉をかけられました。
「夜間でもよく見える車線を引ける会社があったら、いい仕事になると思うな」
もちろん、これは3M社が製品の研究開発に大変熱心であることを知ってのことでした。さらにその役人は、郡で進めている高速道路の車線の実験の話をしてくれました。ペンキで引いた線の上にガラスビーズを振り掛けるというものです。
話を聞いた幹部はさっそく屋根材を扱っている研究室に報告しました。そこで取り組んでいる顔料の耐候性に関する研究が、車線の開発にも応用できるのではと考えたのです。そして、屋根材研究室の隣で研磨材の研究に取り組んでいたハリー・ヘルツァーという技術者が、役人の言っていた「ガラスビーズ」のアイデアに興味を持ちました。
ヘルツァーは、溶けたガラスからビーズを作る実験を開始しました。やがて彼はガラスビーズを使って高速道路の車線を作れるはずだと確信し、もっと詳しい情報を知ろうと、郡の実験がどこで行われているのか例の役人に問い合わせました。しかし、職務上の理由から教えてもらうことはできず、仕方なく自力で探すことにしたヘルツァーは、仕事が終わった後に周辺道路を自動車で走り回り、ついに3M社から数キロ離れた通りに白い筋を見つけたのです。
この実験用の白線はたしかに従来のペンキよりも明るく見えましたが、顕微鏡で見てみるとビーズがまばらな上に不透明なペンキの中に埋もれてしまい、本来の10%しか光を反射していないことがわかりました。「自分たちなら、もっといい製品が作れるぞ」と自信を深めたヘルツァーは、本格的な実験を開始し、1937年の夏の終わりにとうとう3M社初の反射材を作り上げました。当初開発された反射材は、スコッチR 両面テープの片面に小さなガラスビーズを貼り付け、もう片面を道路側に貼り付けるというものでした。ここから3M™ 反射シートの歴史が始まったのです。
1937年11月24日、いよいよこの反射シートを使った実験が開始され、どこで曲がるかを指示する正方形の車線テープが道路上に置かれました。数日後確認すると、車線テープはかなりの光を反射し、相当の交通量にもかかわらず剥がれることなく元の位置にありました。
ところが、年が明けた1938年春に行った公開実験では思わぬ事態が発生します。実験場所だった交差点に貼り付けていた車線テープは雪解け水で剥がれ、無残にも道路に浮いていたのです。実験の失敗に皆がショックを受けましたが、貴重な発見もありました。天候や交通量をものともせずに、ガラスビーズはしっかりテープ上に残っていたのです。
「それならば、道路にしっかりくっつく接着剤を作ればいいじゃないか」
研究スタッフは気を取り直し、次の実験へと取り掛かりました。
チームは試行錯誤しながら、基材や接着剤などについて改良を重ねて、技術的にも大きく進歩した車線テープを作り上げました。そのテープは冬を越え、春になっても道路にぴったりくっついたままで、実験も大成功!
ところが、最終的にはこのテープが正式に郡に採用されることはありませんでした。理由は2つ。1つは価格が高かったこと、もう1つは、他と比べてずば抜けて反射性能が高いというわけではなかったことです。これまで何度も実験に失敗するのを見てきた道路管理局の3M製品に対する評価が厳しくなっていたことも要因となりました。こうして、ガラスビーズを使った車線テープの開発プロジェクトは幕を閉じたのです。
あれ、話が終わってしまった、3Mの技術は使われないまま?と思いましたよね。ここであきらめずに、アイデアの可能性を信じて研究を続けるのが3Mです。
車線テープのプロジェクトは打ち切られてしまいましたが、地面に貼っていたガラスビーズを標識に貼ってみてはどうかというアイデアが出てきて、代わりに反射シートの研究が開始されました。それから数ヵ月後、ミネソタの高速道路の交差点に、初めて3M™ 反射シートを使った道路標識が立てられました。1939年9月のことです。
発売当初の3M™ 反射シートは、完璧な製品とは言いづらかったようです。
普段はペンキの100倍の明るさを発揮するのに、雨が降ると10~15倍程度に明るさが落ちてしまうという問題点がありました。原因は、ビーズの凹凸面に雨水が溜まり、反射力を弱めてしまうからです。また、この凹凸の間に汚れが溜まりやすく、一度ついた汚れは洗うことができなかったのです。
こうした問題点のために、1942年までは思うようには売れない状況が続きました。しかし3Mはその将来性を疑わず、品質を高めるためにあらゆる投資を行いました。高品質なガラスビーズを作るため、社内の様々な事業部から顔料の知識・塗布技術・強力な接着剤の情報などが中央研究所に集まり、やがて完成した反射シートはかなり優れた性能を持つものに改善されました。
ところが残念なことに、これがすぐに大量発注を受けることもありませんでした。道路管理局が金属製の標識の在庫を大量に抱えていたため、新しい道路標識の導入を決断してくれなかったのです。そこで新たに3Mが提案したアイデアが、「停止」を意味する金属製の標識に反射シートで「STOP」の文字を貼り付けるというものです。これによって夜間のドライバーは、標識の“形”で停止を認識するだけではなく、光を反射してはっきりと見えるSTOPという“文字”を識別することができます。この提案は道路管理局に受け入れられ、ようやく採用の道が開けました。
その後も積極的に改良を重ねていった3M™ 反射シートは、世界中へと普及し、現在も夜間ドライブの安全性を高める重要な役割を担い続けています。
ドライバーが道路標識を判読できる距離(車と標識との距離が50~100mの区間)で、最も明るく反射するフルキューブ(広角プリズム型)の反射シートもすでに実用化されています。
さらに、反射性能の向上だけでなく、環境負荷が少ない製品や、鮮やかな発色・優れた耐候性を持つ内照サイン用のシートなど、時代が求める標識を今も追及し続けています。
5万5,000種類を超える3Mの製品群。その圧倒的な製品開発力を支えているのが、「テクノロジープラットフォーム」と呼ぶ、汎用性の高い46の技術基盤です。
道路標識用反射シートを支えるテクノロジーは、「ライトマネジメント」「セラミック」「高精細表面」などがあります。
マスクに圧着するだけでパッとくっつき、着脱が可能な眼の防護具です。医療従事者の眼への血液・体液曝露を防ぎます。
マスクへの装着部分(白い部分)に採用している3M™ メカニカルファスナーは、微細なマッシュルーム状のフック構造で、それには「高精細表面」のテクノロジーを活用しています。
眼鏡の上からでも装着でき、使用後はマスクと一緒にそのまま廃棄するだけ。管理も簡単な新しい眼の防護具です。